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<ノベル>
「ホワイトデー……ホワイトデーといえば女性たちに誠意を見せ、男としての株を上げるチャンス! たとえそれが義理だって!! 貰ったことには違いないしっ!!」
後半、どことなく寂しげなことを青い空に向かって握りこぶしを突きつけたのは、女性には優しく、をモットーとした相原圭その人である。
ちなみに今年のバレンタインデーの成績は、「貰えないやつがいたら可哀想」という同情心からクラスの女子全員がお金を出し合って購入した義理チョコ(ちなみにクラスの男子全員に同じものが配られた)、祖母・母からの温かさのこもったそれなりのチョコ、バイト仲間から貰った明らかな義理チョコ、バイト先のカラオケ店常連客のおばさまたちからの有難い義理チョコ、そして下駄箱に自作自演で忍ばせた自分用に買ったマイチョコ、以上五個。最後がなんとも涙を誘うが、そこはお年頃の少年心ということで、そっと涙をぬぐって欲しい。ちなみに、圭のポケットには女性の涙を止めるために使う予定の専用ハンカチが入っている。予定、というのは未だ使ったことがないからである。
それはともかく、そんなわけで圭はホワイトデーのお返しを選ぶべく聖林通りを歩いていた。女性のことは女性に聞くのが一番ではあるが、返す本人らに聞く訳にもいかない。そこで、他の女性に、とも思ったのだが。
「うーん、やっぱこの時期は男が多いなぁ……ん?」
圭の目に、ショーウィンドウを熱心にのぞき込む銀髪の女性が映った。腰まで伸びた髪に、五色のビーズのような丸い飾りを五本編み込んでいる。肌は黒く、よくは見えないが目は青のようだ。
(外国の人かな? 美人だなー)
思いながら、しかしこれはチャンスである。彼女がのぞき込んでいるのは、ホワイトデーフェアと銘打ったショーウィンドウ。もしかしたら日本のホワイトデーに興味があったりするのかもしれない。日本の習慣を教えたらもしかしたらお近付きになれるかもしれない。そしてもしかしたら彼女の知り合いの女性ともお近づき……もとい、ヒントを得られるかもしれない。
そんな些細な下心もありつつ、圭は身だしなみをチェックする。
ヘアーセットよし、靴の汚れなし、服のシワ……まあ自然だろう、よし。
咳払いを一つ、それからスマイル0円、だ。
「ちわっす、お姉さん。ホワイトデーに興味あるんですか?」
声をかけると、女性はゆったりと振り返る。その瞳とぶつかって、圭は思わず息を呑んだ。吸い込まれそうなほど綺麗な青い瞳をしていたからだ。……っていうか、デカッ!? 自分とあまり変わらない……いやもしかしたら彼女の方が背が高いかもしれない。心の中で少しへこたれつつ、圭は笑顔を崩さずに言葉を続けた。
「っと、名乗るの忘れてましたね、アハハ。オレは相原って言います。お姉さんは?」
女性は少し首を傾げて、それからふわりと微笑んだ。
「シャガールというんだ。相原くん、と言ったっけ。こちらのホワイトデーについて、詳しいのかな?」
ハスキーボイス、とでもいうのだろうか、女性にしては低いが、とても透き通った声をしていた。
そして圭は思わずガッツポーズをしそうになった。まさかこんなにもすんなり話が進むとは思わなかったのだ。それに、シャガールと名乗った女性はこちらの、と言った。やはり外国から来たのだろう。
「そりゃもう。ホワイトデーって言ったら、バレンタインにチョコをくれた女性たちに誠意を見せる場ですしねっ」
株を上げるチャンス、は飲み込んだ。女性の前では、さすがに言えない。
誠意、とシャガールが小さく呟く。それに、圭は大きく頷いた。
「本命であれ義理であれ金額三倍は当然として」
「うっ」
「え?」
「あ、ううん、続けて?」
「え、あ、はい。えーっと、そう、金額三倍は当然として、相手の好みに合いそうな物を選ぶべきですよ。例え何十人からもらったって、一人一人に合うようなものを選ぶわけです」
腕を組み一人うんうん、と頷く圭の隣で、シャガールは若干苦笑いだ。
「まあ、でもやっぱり、一番重要なのは気持ちですよ」
言うと、シャガールは圭に視線を向けた。圭は少し照れくさくて頭をかいた。
「いかにして自分の気持ちを伝えるかが、やっぱ問題だと思うんで」
◆ ◆ ◆
レイドは悩んでいた。
いや、彼について言うならば、悩みは尽きない。それはロリコンと呼ばれたりお父さんと呼ばれたりロリコンと呼ばれたりすることなのだが、今回はそうではない。
ホワイトデーのお返しを、悩んでいたのだ。ある人物から貰った某ブツは、ハッキリ言って不本意だった。しかし、貰ったことには変わりはないのだ。さすがお父さん、しっかりしている。
ため息を着きつつ、頭を巡らせると、見覚えのある顔を見つけた。
「よう、ハリスじゃねぇか」
「あー、レイドくん。久しぶりだねぇ」
店の中までは入らず、のぞき込みながら首を傾げるハリスは、蒼い鱗の生えた腕をひらひらと振って笑った。
「なにしてんだ、こんなところで?」
聞くと、ハリスはへにゃんと笑って三つ編みの先を弄くる。
「んーとねぇ、ばれんたいんでーっていう日に、ベラからちょこれぇとをもらってねー、ほわいとでーにはばれんたいんでーの三倍返さなきゃいけないらしっくてー、そのお返しを探してたんだー」
「三倍っ?!」
レイドが思わず大声を出すと、ハリスは笑う。
「僕もお頭から聞いてビックリしたんだよー。なんかねぇ、ばれんたいんでーのお返しは三倍がフツウなんだってー」
のほほんとした口調でとんでもない事を言ってくれるハリスに、レイドは顔面蒼白になった。
お返しは三倍? そればっかりは聞いていない。いっくら貰ったとはいえもしもその三倍を見越してという事ならば。
──あんにゃろう、やっぱ一度ぐらいきっちりシメるべきか。
一瞬、そんなことがよぎったが、いやいや、と頭を振る。
三倍。貰ったチョコレートタルト一つの三倍と単純に考えれば、例えばクッキー三個でも三倍になり得るではないか、それは簡単だ楽勝楽勝はっはっは……いやだがしかし。
「もっ、物じゃなくて、気持ちを贈るんだ! 気持ちを贈るんなら三倍なんてっ!」
半ば壊れかけた思考回路を飛び出して口に出たが、ハリスはそれにもへにゃりと笑う。
「ベラの心がいっぱいこもったすっごく美味しいちょこれぇとの三倍美味しいものなんて、難しいよー。そりゃあね、気持ちだけなら一生分だってこめられるけどさー」
ハリスの言葉に、レイドは首を傾げた。
「そりゃおかしくないか」
レイドの言葉に、ハリスが首を傾げた。
「あんたらに贈られたチョコの三倍美味いものがないのだとして、同時にベラちゃんにとってあんたが贈った物の三倍素敵な物なんて、ないと思うけどね」
言ってから、レイドは視線を反らして頭をがしがしと掻いた。自分でも思わぬセリフを吐いたように思う。きょとんとしたハリスの金の眼がぱちくりして、それが余計に羞恥心をあおる。肩に乗った小型化した相棒まで、くりりとした赤い瞳を向けてくるものだから、レイドにはたまらない。思わず夕日に向かって走りたくなるくらいには。いや、それも恥ずかしいけど。
そんなことをぐるぐる思っていると、ハリスが笑った。じろりと隻眼を向けると、ハリスは頬を掻いて笑っていた。
「そっかぁ、ベラにとって僕たちから贈った物は宝になるかぁ」
心底気恥ずかしそうに、嬉しそうに笑うハリスに、レイドはふと笑みをこぼす。
「きっとな。……そうだ、料理なら手伝えるぞ。料理はけっこう出来る方だからな」
料理、と聞いてハリスの金の眼が輝く。弄くっていた髪をピンと弾いた。
「料理! アルディラの兄貴に任せてばっかりだったからねー。うん、やってみようかなー……あ、レイドくんはー?」
突然振られて、レイドはハリスを見返す。ハリスはへにゃんとした笑みのまま首を傾げた。
「お返しー。レイドくんも、誰かにあげるんでしょー?」
◆ ◆ ◆
「ぽよんすーっ、アルディラ!」
したたっと小麦の肌を駆け上がったのは、体長四十センチほどの仔ダヌキ、太助だ。アルディラの肩は、今やすっかり彼の特等席である。
「お、タスケじゃねぇか。ちょうどいいところだったぜ」
小さな頭をわしわしとかき混ぜながら、アルディラはにっと笑った。
「ふーん、それで悩んでたのか」
「まぁな。悩むなんてガラじゃねぇんだが、他でもねぇ、ベラのためだからなぁ」
ぽりぽりと頬を掻くアルディラに、太助はむん、と腕組みをする。
得意分野でプレゼントするのはダメ、四人で同じ物は贈らない。どうせなら四人で何かを作成する、というのも考えたらしいが、ベラが四人分それぞれにチョコを渡したから、ということで、やはり別々にお返しをする、という結論に至ったらしい。馬鹿正直に三倍をどうしようか悩むのが、彼ららしいといえば彼ららしく、太助は思わず笑った。
「なんだよ」
「いんや、なんでも。……そうだ、得意なものがダメなら、花束なんてどうだ?」
「はなたばぁ〜?」
自分にもっとも不似合いなモノで、アルディラはものっすごく嫌そうな顔をした。しかし、太助はまるで気にした様子はなく続ける。
「おんなのひとは、キレイなものが好きだぞ。ベラだって、花とか好きなんじゃないか」
言われて、アルディラはふと思い出す。
確かに、バイト帰りにどこそこでどんな花を見つけただの、どこそこの花が咲いただの、どこそこの花がどうしただのと、とても楽しそうに報告をするのだ。それを聞くたびに、ベラが「女の子」であることを強く感じる。【アルラキス】唯一の紅一点ではあるが、彼女は野郎どもを雄々しく率いる部隊長の一人なのだ。
「確かに、好きっちゃあ好きなんだろうが」
だろ、と太助は笑う。
「今は冬だけど、猫柳とかきれいだし、梅も咲いてるぞ。夏とか春の花みたいににぎやかじゃあないけど、ふわふわの猫柳なんてきっと和むぞ。梅も匂いがもうすぐ春みたいで、いい感じだし。あ、桃もあるかも! 杵間山になら、どれもあるんじゃないかな」
花の名前を羅列されても、アルディラにはどんな花なのかはまったく検討も付かなかったが、どうだ? と首を傾げる太助に、わしわしと頭をなでた。
「おっし、タスケの言うことだ。行ってみっか」
歯を見せて笑って、ひょいと太助を肩に乗せる。
「そういや、タスケはベラん時も手伝ってくれたんだったよな。タスケはほわいとでぇにも誰かにあげんのか?」
聞くと、太助は笑って胸を張った。
「俺はばあちゃんに、かたたたたたたき券を贈るんだ」
「かたた……なんだ?」
「かたたたたたたき券。ともだちのつっちーが教えてくれたんだけどな、」
◆ ◆ ◆
セイリオスは困惑していた。
この状況はどうしたものかと。
周りは化粧品や香水の匂いで溢れ返り、生来身体能力が一般と呼ばれる人間よりも発達しているセイリオスは、目眩を起こしそうだ。
しかし、それよりも。
「これとか可愛いんじゃないかしら。ポケットに入る大きさだし、持ち歩くのに便利よ。……ちょっと、聞いてるの」
「え、あ、おう」
どうして俺は、この女と一緒にいるんだっけ?
それは、睨み付けるようにショーウィンドウをのぞいていた事から始まった。
元々誰かに好意を見せたりすることが苦手なセイリオスは、贈り物なんてこっぱずかしくてほとんどしたことがない。それが異性であれば、なおさらだ。同じ頃に【アルラキス】に入ったベラとは、まさしく家族のように過ごしてきた。今さら何を贈ればいいのか、さっぱり浮かばなかった。
それがそのまま顔に出たのか、セイリオスは眉間に深いシワを刻んで食い入るようにショーウィンドウを睨み付けていた。本人としては、どんなものがあるのかをまず仕入れようとしていただけのなだが、周りからはそんなことはわからない。哀れ不審者として認定されたセイリオスは、偶然その店に来店していた藤田博美その人に拘束されることになったのであった。
「だからっ! 盗みなんてしようとしてねぇよ!」
「だったらどうして声をかけた時に逃げようとしたのかしら」
「いきなり殺気立ったヤツに話しかけられたら、逃げたくなるだろがっ」
最後は盗賊の性といったところだが、ともかくも問答の末ホワイトデーのプレゼントを探している事は真実らしく、だったらば協力しよう、という事になったのであった。
「なるほど? でもね、三倍も何も関係ないんじゃない?」
「なんでだよ。こっちじゃ、三倍にして返さなきゃいけないんだろ?」
三倍に固執するセイリオスに、博美は半ば呆れたようにため息を吐き、その指を鼻先に突きつけた。
「女にとってさ、何が大事かって解る?」
真直ぐな瞳に射抜かれて、セイリオスはただ首を横に振る。
「気持ちなのよ。キモチ」
「きもち?」
繰り返すと、博美は小さく頷いた。
「靴を贈られるのと高級車を贈られるのは、気持ちさえこもっていれば、価値は同じなのよ」
「そ、そうか? 靴とコウキュウシャって、かなり違うと思うぞ?」
「気持ちがこもっていなければ、ゴミと同じよ」
かなり強引な気もするが、その気迫に押され頷きかける。しかしセイリオスは、はたと思う。
「でも、三倍だって」
博美は指を下ろし、大きなため息を吐いた。
「いっそ、そんな言葉は忘れなさいよ。……精一杯、やればいいのよ」
「……じゃあ、おまえは何を贈ればいいと思う?」
そうね、とひとつおいて、博美は口を開いた。
「お財布やポーチみたいな小物でもいいし、靴でもいい。肌身から離さない物なんか良いかもね」
◆ ◆ ◆
ともかくも、女の子の物を選ぶにはリサーチが必要である。
圭は、お返しには女性の好きそうなスイーツ、もしくは花がいいのではないかと考えていた。シャガールは少し考えながら、それも好きかもしれない、と頷いたので、さっそく該当の店を巡り歩く。女性たちのさんざめく言動や物を見る表情からどんなものを好むのか、逐一こっそりしっかりメモを取り、それらを統計しよう、という魂胆である。男がどんなものを選ぶかなどはそっちのけなところ、圭という男の性がわかるというものだ。
「ん?」
「なんだ?」
次なる場所へと向かう途中で、二人は珍妙なものを見つけた。
それは、なんの脈絡もなく突然現れた不可思議なものだった。道のど真ん中に御座を広げ、錠剤らしき物体や再生紙と書かれた紙束、段ボール、ペットボトルなどなど。しかし、なにが一番珍妙かと言えば、その中心にちょこんと座った、モノクルをかけたちょっぴりふくよかなうさぎさんである。
うさぎさんは知的そうに?モノクルをくいと上げ、長い柄の付いた看板らしきものをくるりと一回し。すると、そこにはあら不思議、文字が浮き出てきたではないか!
「みぎぃ」
なんとも形容しづらい鳴き声を発しながら看板を回すと、(特別大放出だよぉ)と文字が浮き出た。よくわからない錠剤や再生紙と書かれた紙束などを売っているらしいが、なんというかあまりに唐突過ぎて、そのうさぎの周りは半径一メートルほどぽっかりと空いている。
「……相原くん、なんて書いてあるんだい?」
聞くと、シャガールは少しバツが悪そうに微笑んだ。
「字は、まだ習っている途中でね」
「ああ。特別大放出って書いてあるんですよ」
「とくべつだいほうしゅつ……それはあの紙束とかのことなのかな」
不思議そうに眺めていると、それに気付いたのかうさぎはキランと目端を光らせて、くるりと看板を回した。
「むぎ!(WDに向けて市場調査なんだよ!)」
「相原くん、あの記号はなんて読むんだい?」
「ああ、ホワイトデーの略っすね。ホワイトデーって英語で書くと、WhiteDayって書くから。……って、あれ、シャガールさんって外国の人じゃ」
首を傾げると、シャガールはにこりと微笑む。……ああ、この笑顔に何度はぐらかされたことか。今度こそ、と思うのだが、この笑顔を見るとそれ以上聞けなくなってしまう。
もやもやした気持ちで言葉を詰まらせていると、ギャギャっという音が聞こえて圭はうさぎの方を見やった。そこには、カラスに突かれているうさぎの姿が!
「もぎ!?(か、鴉! 助けて、僕ご飯じゃないんだよ!)」
突かれながらも看板をくるりと回すうさぎの根性には乾杯だが、しかしどうやって助ければよいのか。逡巡していると、ふわりとシャガールの長い髪が圭の視界を覆った。
なに、と思う間なんてなかった。長い紐の先に丸い分銅が付いたものがひゅおんとカラス目掛けて飛んで行く。分銅はカラスを通り越して、一瞬の停止の後、横に薙ぐ。驚いたカラスは少しの間、高度を高くしてこちらを見やっていたが、やがて去って行った。
うさぎは毛羽立った毛並みをなで付けると、くるりと看板を回す。そこにはありがとう、と書いてあった。シャガールは微笑みながら近付くと、
「やあ、こんな美味しそうな食材が街で手に入るとは思わなかったなぁ。大きいから五人で食べるのにちょうどいいね」
むんずとうさぎの首根っこを掴み、嬉しそうに持ち上げた。うさぎはぎょっと眼を見開く。
「むみぎっ!?(た、食べ物じゃないんだよ! 助けて欲しいんだよ)」
「し、シャガールさん、それを食べるのはどうかと思うな……」
圭も思わず顔を引きつらせた。ワイルドな女性なんだなぁ、と心のどこかで思ったのは秘密ということにしておこう。
その後、交渉?により、うさぎは“兎田 樹”という名の獣人ムービースターであることが判明し、シャガールの食材としてのお持ち帰りは断念されることとなった。くるりと回すと文字が浮き出る看板は【ほんやくかんばん】といい、樹が発明した道具らしい。筆談などという面倒な手はとらず、人型になれば話はもっと早かったのだが、すっかり兎生活に堕ちてしまった樹はモノクルをかけた垂れ耳(ロップイヤーというのだと、圭が注釈を入れた)が可愛い、がっしりしたぽっちゃり兎が定着してしまったという。
ともかくもお持ち帰りを断念した変わりに、樹の市場調査結果が圭とシャガールにもたらされることになったのだった。
「めぎぃ(贈り物は気持ちが第一で、そんな風に言ってくれた人なら貴方の贈り物も同じくらい響くんだよ、それでWDの定番はクッキーだよ、やっぱり)」
気持ち、とシャガールは小さく呟く。すると、樹はくるりと看板を回す。
「みぎぎ(人参クッキーなら作れるから一緒にがんばろう?)」
「シャガールさん、だったらやっぱりスイーツっすよ! クッキーが定番なら、それに果物とか乗せたやつは可愛いんじゃないっすか? タルト、っていうやつですよ!」
字に不慣れなシャガールが看板を読み解こうとする横から、圭が声を大にして目をキラキラと輝かせた。なるほど、と頷いてシャガールは、垂れた耳を一層垂れさせて背中を丸めている樹の頭を撫でる。
「女の子に人気のすいーつ屋さんを知ってるかい?」
聞くと、樹はもちろん、というようにモノクルを優雅に治すと、くるりと【ほんやくかんばん】を回した。
「めむぎっ(最近オープンした洋菓子工房“mundo novo”が注目を集めてるんだよ。真直ぐ行って左にあるんだよ)」
「ありがとう、兎田くん。またね」
どこからか黒い箱を取り出し、それを樹の前に置くと踵を返した。圭は店名が読めなかったらしく、しかし首を傾げながらもその後に続く。
樹は少し寂しそうにその背中を見つめ、それからそっと黒い箱を引き寄せた。ぱこ、と開けようとし……蓋はびくともしなかった。他の面に手をかけるが、どうにも開く気配がない。六面すべてを試し、一向に動く気配がない。兎田の中で、何かがぷつんと切れた。
「ふふふ……これは僕への挑戦と見たよ、シャガールとやら……」
ずごごごご、という背景音をたてながら、樹は人の姿を現した。
「この! 悪の【秘密結社B】幹部、技術開発部副主任【ピルビット兎田】が! 必ずこの箱の謎を解明してみせるからね!!」
正体を現したピルビット兎田がその箱の謎に挑み、見事箱の謎を解明したかどうかは、神のみぞ知る。
◆ ◆ ◆
「わー、可愛いねぇ。これなら喜んでくれるんじゃないかなー」
「……そうかよ……」
ぐったりとテーブルに伏したレイドの横で、ハリスはへにゃりと笑った。
テーブルの上には、ネームプレートにそれぞれの名前が刻まれた、二つのシルバー製のブレスレットがキラキラと輝いている。ピンクの花はいつも傍にいる相棒に、星の飾りが付いた物は相棒が姉と呼ぶ彼女に対してのものだ。
あの後、食材を買い込みながら散々悩んだ結果、ハリスに料理を教える代わりに、彼が得意とする装飾品作りを教わる事にしたのである。
とは言っても、ハリスが最も得意とするのは自らの鱗を魔力で加工したもので、インスピレーションなどをより強く要求される。そこで、ちょっと出入りするには気が引けたがアクセサリーショップを回ってシルバー製のパーツを購入し、飾りにハリスの鱗を拝借する事にした。ハリスの鱗は不思議なもので、魔力を込めると飴細工のように柔らかなものとなる。また、魔力で形を変動させるので、イメージを魔力を通して伝えると、その通りの形になる。しかし、色は透き通った蒼のままなので、透かし入れたい色のものを近づけるとそれを取り込んで色が通う、という不思議なものだった。ただ、魔力の加減によってやはり出来は変わるものであって。こんな細かい作業に魔力を使った事がないレイドは、悪戦苦闘していた。何度もハリスが魔力の調整をしようかと申し出たが、頑として聞かなかった。
そして、ようやく満足のいく出来になった頃には、レイドはすっかり疲弊していたのだ。
「俺の事より、そっちはどうなんだ?」
料理は初心者でも簡単に作れて、大勢で食べれるもの、というようにハリスから言われたので、オーソドックスなカレーにした。
気分転換のようにハリスの料理を見ていたレイドは始め、そのあまりの大雑把さに目を剥いた。何が大雑把って、野菜の切り方である。切るっていうか、むしろ力任せに握りつぶして砕いた、という方が正しい。肉は、その手の先だけを変化させて鋭い爪で引き裂いた、というのが真実である。繊細で細やかな神経を使う装飾品の数々に思わずため息を吐いていたので、まさか料理の方がそうだとは思いもしなかった。
「うん、大丈夫みたいー。アルディラの兄貴が作ったみたいな感じになってるからー」
ベラへの感謝の気持ちを込めるのだからと、どうにかこうにか包丁を握らせ、使い方から野菜の切り方、肉の切り方、炒め方などを一通りレクチャーし、ルーを入れて現在は煮詰めるに至ったのである。レイドが疲弊しているのには、思いもよらないのんびり屋のドラゴン族の(よく言えば)豪快さも相まっていた。
ほうわりとカレーの香りが漂い、レイドはほっと一息つく。突っ伏していた体を引き起こし、アクセサリーショップで一緒に買っておいたピンクとオレンジの袋にそれぞれブレスレットを納める。後は、どうやって渡すかだけだ。
「ベラ、喜んでくれるといいなぁ」
上機嫌に鼻歌まで唄いだしたハリスを横目に、レイドは頬杖を付く。
「仲良いんだなぁ、あんたら」
何気なく口に出た言葉だったが、ハリスは嬉しそうにへにゃりと笑った。
「うん。誰が一人欠けたって、僕たちはダメだからねー。僕はどこに居たって同族の気配を感じていられるけど、お頭に会って初めて、一緒にいられる嬉しさを感じられるようになったからさー」
「ああ、それは」
わかる気が、する。
レイドも、あの白い相棒に救われている。そして、この銀幕市という場所で出会った、彼女にも。
「……そろそろ、帰る」
「あー、日が落ちるしねぇ。今日はありがとー、レイドくん。あ、そうだー」
立ち上がると、ハリスは別室へ行き、戻ってくるとそれをレイドに渡した。
「なんだ?」
「お守りみたいなものかなー。今日手伝ってくれたお礼にー」
へにゃりと笑って渡されたのは、透き通った蒼いボタンチェーンだ。肩章には犬のような細工が施されている。
「そこの黒い子をイメージしてみたんだー」
「おう、サンキュ」
軽く手を挙げて、レイドは盗賊宅を後にした。
夕暮れ時は、まだ冬の気配を残している。
◆ ◆ ◆
「あっ! あそこに咲いてる赤いの、あれが梅だ」
アルディラのつるりとした頭をぺしぺし叩き、太助はそれを指差す。そちらに目をやると、ほそりとした枝にぽつぽつと五枚の花弁を開いた赤い花が咲いている。
「なんか地味だな」
「地味っていうな、わのこころ、ってやつだぞ」
「ふぅん」
気のない返事をして、アルディラは視線を他所へと向ける。少し遠くに重たげに頭を垂れた、白い花を見つけた。
「タスケ、あれはなんだ?」
「どれだ?」
「あれだよ、あそこの白い花」
言われて目を向けるが、何も見えない。首を傾げていると、アルディラはずんずんとそちらへ向かって進んだ。しばらくすると、太助の目にも白い花が見えてくる。さらに近付くと、それが八重の花だとわかる。
「桃だな。すごいな、アルディラ。あんなに遠かったのに」
「遠いかぁ?」
首を傾げながら、しかし桃の花を見やって、アルディラは満足そうに笑う。
「ハデなのがいいのか?」
太助が聞くと、アルディラはそうだなぁ、と頷く。
「どっちかっつったら、やっぱ派手な方がいいな。何事も、派手にドカンとやりてぇだろ」
そこは盗賊の性というところだろうか。しかし、アルディラの様相を見れば、派手な方が好きなのはなんとなくわかる。ただでさえ巨躯であるのに、さらに存在を誇示するような炎を模した入れ墨。服も、入れ墨と同じように炎の文様が入っている。
「まあ、アルディラがハデなのが好きなのはわかるけど、ベラにあげるもんだろ?」
言うと、アルディラはそうだった、というように額を掻いた。
「ネコヤナギ、っていうのはどれだ?」
「えっと」
きょろきょろと見渡して、太助は目当てのものを見つける。
「あれだな」
太助の指す方を見やる。そこには楕円形の白い綿毛にくるまれた、猫のしっぽのようなものがちょこちょこと枝に付いている。
「触ってみろよ、すごく気持ちいいぞ」
言われて、そっと指先でなでてやる。
「おおっ!」
「な? なごむだろ?」
「こりゃいいな! うん、これだったらモモよりもさっきのウメの方が合いそうだ」
「へー、アルディラってびいしきがちゃんとあるんだな」
「ちょっとヘコむぞ、それ……まぁな、料理をやるからよ、色とかバランスっての? 考えるわけだ」
他の枝を傷つけぬように、しかし素早い手刀で目当ての枝をすぱんと切り落とす。それから先ほどの梅まで戻り、つぼみの多い枝を選ぶ。そしてやはり手刀で切り落とし、満足そうに山を下り始めた。
「もういいのか?」
「あんまり取り過ぎるのも、よくないからな。それにネコヤナギとウメなら、そんなにいっぱいあるより、こう……なんて言やいいんだ? 少ない方が良い気がするんだよ」
ふぅん、と返して、太助は猫柳をくすぐる。そんな太助を見やって、アルディラはそうだ、と足を我が家へと向けた。
「おい、タスケ。俺らの寝座へ寄ってけよ。今日、手伝ってくれた礼だ、鍋持ってけ」
「おー、やった! じっちゃんとばっちゃんと食うぞ!」
「持ってけるかー? 重いぞ」
「大丈夫だ!」
言って、くるりと一回転。すた、と着地したそこには、タヌキ耳としっぽをつけた少年が現れる。
「俺は化けだぬきだからな、人間にだって化けれるんだ」
アルディラを見上げて、太助はにっと笑い返した。
家に帰り、今日の出来事をくるくると変わる表情で楽しませた後、太助は高らかに笑顔でこう言うことだろう。
「じいちゃん、ばあちゃん! いつもありがとう!」
◆ ◆ ◆
「ありがとうございましたー」
女性店員の、微笑ましそうな視線と微笑ましそうな声から逃げるように、セイリオスは足早に店を出た。
……心臓に悪い。
「そんなに慌てて出なくてもいいじゃない」
後ろから付いてくる博美に、セイリオスはぎろと睨み付ける。
「慣れてねぇんだよ、こんなこと。周りは女ばっかりだし、匂いはやたらキツいし……ああ、やっぱ女ってわかんねー……」
頭を抱えたセイリオスに笑って、博美はその手にあるかわいらしーくラッピングされた箱を指す。
「でも、いいもの選んだんじゃない?」
セイリオスには良いものか悪いものかはわからなかったが、しかし同じ女性がアドバイスをしてくれたことで、自分一人で悩んでいるよりも気に入ってもらえるものは買えたと思う。
彼が選んだのは、白地に青で幾何学模様を刺繍したポーチだ。色は、ベラの髪の色と瞳の色に合わせてみた。青が明るい空色なので、爽やかな印象だ。
女の子には何かと細かい小物が多いのだ、と博美は言う。コスメがどうとかいうのはセイリオスにはまったく解らない部類の話ではあったのだが、女性である博美が言うのだし、間違いはないのだろう。それに、そういった小物に限らず、大切だと思うものを入れておくのもいい、と教えてもらったのが決め手だったかもしれない。
「それに関しては……感謝してる」
ぽつりと零すセイリオスに、博美は微笑む。
微笑んで、闇色が広がり始めた空を見上げた。
──職業軍人として働いていた頃には、今のような穏やかな日々は考えられもしなかった。
硝煙の臭いも、どす黒い陰謀の影も、今この時には見当たらない。
オシャレもしたいし、恋もしたい、そんな普通の生活をここでは送れる幸いがある。
ただ、一つの心残りを除いては。
「しっかし、どうやって渡すかな……今までこんなんやったことねぇからなぁ」
視線を戻し、赤銅の肌に深紅の瞳を持つ少年を見やる。彼が持つ獣性を、博美は感じ取っていた。それが今は、何か柔らかなものに包まれているように感ぜられて、がしがしと後頭部をかき混ぜる彼に、ほんの少し羨ましさを感じた自分を、博美は否定しない。それは、本当に幸いだと思うから。
「……目の前にいるだけで、いいじゃない」
博美が言うと、セイリオスは怪訝そうな深紅の瞳を博美の黒い瞳に合わせた。
ああ、この街では。
こんなにも穏やかな眼にさせてくれる。
「手の届く場所にいる。それだけでも何より恵まれている。必要なのは、手を伸ばす勇気だけ」
それは、セイリオスに向けた言葉だったのか、自分に言い聞かせる言葉だったのか。
ふと微笑んで、博美は改めてセイリオスを見る。
「そう、思わない?」
セイリオスは少し考え込むようにして、腰に下げた袋からランタンのようなものを取り出す。財布もそこから出していたから、なんてものを一緒に入れているんだと言ってやりたい。が、ランタンを開き、彼の手から、ぽう、とオレンジ色の炎が湧き出したのには言葉を失った。何事もなかったかのように蓋を閉じ、セイリオスはそれを博美の手に押し付ける。
「なに?」
「やる」
ぶっきらぼうに、しかし視線を泳がせて言うセイリオスに、博美は首を傾げる。それに苛立たしそうに、セイリオスは舌打ちをした。
「助けてもらったら、礼をする。それが、レイギとかいうやつなんだろう。今日、オレはあんたにずいぶん助けられたからな」
あまりに唐突だったから、気付かなかった。
「オレが生きてる限り、そいつは消えない」
声に、博美は視線を上げる。セイリオスは、あー、とか、うー、とか言いながら、
「辛気くせぇ顔すんなよ。必要なのは、手を伸ばす勇気だけなんだろう」
早く受け取れ、というように押し付けられるそれを、博美は受け取った。ゆらめく炎は、まるで夕日を写し取ったかのような色だ。
「……ありがとう」
「コチラコソ?」
銀幕市に来てから覚えたのだろう、言葉はぎこちなく、語尾が疑問系だ。
それにも博美は笑う。
笑って、そして踵を返した。
* * *
「おら、ルシファ。この間のオカエシ」
三月十四日。
レイドは相棒に、先日悪戦苦闘してようやく作り上げた包みを渡す。眼をキラキラと輝かせて嬉しそうに腰に抱きつく(いや、タックルか)相棒に、レイドは素直に嬉しく思う。
そんな様子を見て、相棒の姉はニヤニヤと笑いながら、近頃の悩みの種である言葉を連発する彼女。青筋を立てつつも、包みをぽいと放った。驚いたのは彼女の方だ。
「ついでだ、ついで」
口ではそう言いながら、しかしレイドは感謝している。
世界から忌み嫌われた自分たちと、隣人のように接してくれる彼女に。
とても彼女には、伝えられそうにもないけれど。
◆ ◆ ◆
「いつもありがとう。貴女の笑顔があるから、オレは頑張れるんだ」
そんなセリフと笑顔共に、クラス中の女子に洋菓子工房“mundo novo”で手に入れたタルトケーキを一人一人に手渡して行く。
兎田樹の情報は確かで、女の子たちは皆、嬉しそうに受け取ってくれる。これは彼との付き合いが多くなりそうな予感だ。なんていったって、圭は女性に優しくをモットーに、日々リサーチにいそしんでいるのだから。
圭が女性に特別優しいのには、訳がある。それは、彼が銀幕市に越してくる以前の事だ。小学生、中学生、彼の優しく、そして弱気である性格が、男子には恰好の餌食だったのである。それらから救ってくれるのは、いつも女性だった。
彼女らに、恩返しをしたい。
容姿から性格まであらゆるものを変えて見事高校デビューを果たした圭の努力は今、女性達の笑顔で報われていると言っても過言ではないだろう。
祖母、母、バイト仲間、常連客のおばさまたち。
彼女らに圭の笑顔が届くのは、このあとすぐである。
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クリエイターコメント | お届けが遅くなり、本当に申し訳ありませんでした。 また、愛のメッセージは、書き入れてくださった方だけとなってしまいましたことも、お詫び申し上げます。 皆様、可愛らしく一生懸命で、書いていて楽しかったです。 男性陣の頑張り、そして女性のきめ細やかな心遣いが皆様にも伝わればよいのですが。
口調や設定などで何かお気付きの点がございましたら、お気軽にご連絡ください。 この度はご参加、誠にありがとうございました。 それではまた、どこかで。 |
公開日時 | 2008-03-19(水) 19:20 |
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